
先日、Instagramに投稿した「名前をつけるということ」で触れた懐かしい思い出について、少し書いてみます。
「人間は物に名前をつけることで区別してきた。」
「逆説的に言うと "名前をつけないと人は物を区別できない" ということです。」
大学生の頃にゼミの教授からこう教わりました。
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ちなみに私が大学で専攻していたのは理科教育。
哺乳類学の教授ゼミで、生物の進化と環境保全について研究していました。
研究対象はサンショウウオ
(哺乳類じゃないんですよね…。私は教授にまんまとハメられたと思っているのですが、その話はまたの機会に。)
英語名はクラウディッドサラマンダー。
名前は幻獣みたいですが、くりくりおめめの可愛い子です。
気になる方はぜひ画像検索を
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本題にもどって、
確かに空を飛ぶ鳥も、木に生る果実も、知らなければ一括りに捉えてしまうけれど、あの鳥は美しい声で鳴く、この果実は甘いと知ることで自然と名前が生まれます。
「だから生物の新種を見つけた人に命名権があるのは、とても名誉なことなんです」
名前をつけることは、個性を見つけ、世界に伝えるということ。
私が作品にそれぞれ名前をつけているのは、この教授の言葉がずっと心に残っているからです。
毎回新作を作るたび、命名にはかなり悩んでしまいます。
トゥルペやスピカ・ジュテはそのコンセプトから、最初から名前が決まっていたのですが、メレシリーズでは娘との思い出をもとに、どんな名前をつけようかと半年ぐらい悩みに悩んでいました。
(もしかしたら娘の名前よりも悩んだかも)
最終的にフランス語でいくつかの候補があり、ネイティブの方に相談して現地でも意味が伝わる名前を選びました。
今悩んでいるのは「時の流れを表現したフォーク」と、型を作らず自然の成り行きに任せて作る「名もなき小さなカトラリー」。


ちょうど制作の合間にコーヒーを飲みながら、ふと思い出した懐かしい記憶でした。
樫原ヒロ
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